拙著『映画館に鳴り響いた音』でも取りあげた日本のサイレント映画がNFAJのものを中心に公開されているので、合わせて劇映画を中心に1910年代までの日本映画、とくに劇映画のオンライン公開作品を、国立映画アーカイブと早稲田大学演劇博物館の所蔵資料についてリスト化(その他もあればご教示ください!)。
旧劇映画/新派映画
念のため確認。1910年代の日本映画は、「旧劇」(時代劇)と「新派」(現代劇)に大別されていた。
旧劇 「旧劇」は「歌舞伎」のこと。「時代劇」という言葉は1920年代に、純映画劇運動などを経て作られた新たなスタイルのものを指すので、この時代の映画には使わない。旧劇映画については小松弘先生の論文「旧劇革新の歴史的意義」(2003)が基礎文献。
新派 「新派」は明治に始まった当時の「現代」劇が発達した演劇ジャンル。いまやテレビなどでも放送される機会がないので、演劇のことをよく知らなかった昔、新派とはどういうものなのか調べても一向にイメージできずに困ったのが思い出される。
劇団新派の公演は数が減ってしまっているが、近年の舞台の様子はダイジェスト映像で垣間見ることができる(たとえばこちら)。音については堅田喜三代さんと土田牧子先生に以前ワークショップをお願いした記録も公開されている(コチラ)。次の公演情報が公開されるのを楽しみに待ちたい。
ともあれ、新派映画は、以下に挙げる作品などから確認できるようになった。
新派については、演劇博物館の後藤隆基・柴田康太郎編『新派――アヴァンギャルド演劇の水脈』(早稲田大学演劇博物館、2021)を参照。また、新派映画については上田学さん、小川佐和子さんの編による『新派映画の系譜学──クロスメディアとしての〈新派〉』(森話社、2023)というすばらしい本が出版されている。
オンライン公開されている作品群(年代順)
さて、ようやく作品リスト。このなかで国立映画アーカイブの『五郎正宗孝子伝』のみ現存台本を土台にした映画説明・和洋合奏版の音声付で公開されている。その他は無音での公開。
1910年代の日本映画は字幕がほとんどないので、無音の映像を見るだけでは内容がわからないと思われる。それは、この時代の日本映画は弁士がいてはじめて楽しめる映画だったということだが、それが次第に映画監督たちの不満を読んで、純映画劇運動に繋がっていくことになる。ただ、1910年代の日本映画は、弁士入りで上映をすることで活きてくる、いまとは異なる映画のあり方だというべきだろう。
実際、声が入ってみるとまったく見え方が違ってくるので、『五郎正宗孝子伝』も最初2~3分、じっと無音で観てみて(そのわからなさを感じて)、そのあと説明入りで観てもおもしろいかもしれない。
1900年代~1910年代初頭?
以下は(演博のもの以外は)各ページに概要があるので、それを読んだうえで鑑賞されたい。
- 1899 『紅葉狩』(NFAJ所蔵)[→動画リンク]
- 1908 旧劇『太功記十段目 尼ケ崎の塲』(NFAJ所蔵)[→ 動画リンク]
- 市川左喜次(武智光秀)、中村歌扇(その妻 操)、中村歌江(真柴久吉)等
※すべて女性の中村歌扇一座の貴重な映像。光秀は男性にも見えるほどだが、市川佐喜次はその後松竹の女優・米津佐喜子となる。
- 1909 旧劇『桜田血染の雪』(演博)[→動画リンク]
※右にある「補足資料」の「ファイル: 動画」をクリック
- 1910s 旧劇『先代萩 御殿の場 義太夫出語』(NFAJ所蔵)[→動画リンク]
1915 旧劇『五郎正宗孝子伝』(天活)(NFAJ所蔵)[→動画リンク]
※声色掛け合い・和洋合奏入り
ここでのパフォーマンスは、この作品についての現存する1926年の説明台本に基づいている。でも、現代の上映時にはこの台本を100%そのまま使うことはできない。ここにある「竹本」や「浪花節」の指定は容易には実現できないし、その他の部分もただ読めば成立するかといえば、映像に合わないほどの言葉数があったりする。だからこの上映も、資料を最大限ふまえながら再構成したものといってもいいだろう。それにしても、現代のサイレント映画上映を代表する方々のパフォーマンスが、こうしてオンラインで観られるなんて、すばらしいことである。
現存台本については拙著第4章注14(645-46頁)などでもふれました(ちょっとわかりにくい注ですが)。
1916 新派『生さぬ仲』(小林商会)(演博)[→動画リンク]
※右にある「補足資料」の「ファイル: 動画」をクリック
演劇博物館所蔵の九島勝太郎旧蔵フィルムの一本。「なさぬなか」と読む。1910年代の新派映画である程度の長さが残っているのは、ほかに同館所蔵の日活向島作品『うき世』(1916)くらいしか知らない(他の作品も個人蔵で現存するものがあるかもしれないけれど、不明)。舞台スタイルの映画であり、女性役も女形が演じている。
ここで公開されているバージョンは素材の繋ぎ間違いがある状態で、冒頭にエンディングが来ているので、順序としては[04'57"]くらいが冒頭で、最後まで見てから冒頭に戻るとよい。
成瀬巳喜男のモダンな『生さぬ仲』(1932)と比較すると、ずいぶん様子が違うが、嫁姑、生みの母/育ての母/子といった血のつながらぬ親子(生さぬ仲)を描いた新派お決まりのメロドラマ。この作品についてはオンライン公開されているもので筋がわかるものがないので、念のため映像が残っている部分にかんして最低限の粗筋をまとめてみる。
背景 10年前、渥美俊策と清岡珠江の間に息子滋が生まれたが、外国での生活に憧れをもつ珠江は母親として日本で子供を育てる現実を受け入れられず、家出してしまっていた。その後、漁業会社の社長となっていた俊策は赤澤真砂子を妻に迎え、実母と息子とともに暮らしていた。しかし母は真砂子を嫌っていた。あるとき義父・赤澤が俊策の会社の金を使い込み、俊策は多額の借金を背負い、破産してしまう。他方、10年の間に豊かな暮らしができるようになっていた珠江は、息子を捨てたことを後悔して、背後で借金を肩代わりし、再び俊策・滋と三人で暮らそうと考えていた。
1.渥美家 俊策(井上正夫)は会社の部下である落合から、資金援助を申し出ている人物がいると聞き、歓喜して出かけていく(この人物が実は珠江である)。他方、俊策の母・岸代は嫁の真砂子(木下吉之助)をいびり、ついには俊策のいない間に家を追い出してしまう。このあたりの屋内ショットは、この時代の映画の舞台の強い影響がわかるところ。
2.渥美家外 母の姿が見えないので探して家の外に出てきた息子の滋は、かつて俊策の部下であった巻野(実は珠江の兄)に誘拐されてしまう。俊策の友人・日下部がこれを見つけて追いかけるが、結局逃してしまう。ここのチェイス・シーンがこのフィルムの注目すべきところのひとつ。いま見るとのんびりしたものだが、上映時には手回しだからもっと早く回していたかもしれない。いずれにしても、舞台では不可能な場面と構図が、連鎖劇などで舞台との差異を意識した映画製作に取り組んでいた井上正夫の映画作りを垣間見ることができる。
3.俊策の逮捕 俊策は珠江(秋元菊弥)が借金の肩代わりをすることで息子を取り戻そうとしているのを知って俊策は怒り、その申し出を拒絶する。俊策は詐欺をはたらいたとして珠江から起訴され、投獄される。二―ショットくらいだが、映画全体のなかでは「寄り」のショットともいえる。表情の変化に乏しかったそれ以前の映画々に対して、表情の演技がはっきり見えることも日本映画史として重要なところ。
(その後、誘拐した滋と暮らし始めた珠江は滋がなつかず、ついには家出してしまう。滋を連れ帰ろうとした巻野の手の者は、誤って滋を川に落としてしまう。滋は川下の心優しい農夫に助けられ、そこで偶然にも真砂子と再会する。他方、岸代はその後病気になり、真砂子への過去の仕打ちを公開しながら衰弱していった。岸余は珠江の看病もむなしく亡くなってしまう。)
4.大団円 刑期を終えて出てきた俊策が家の辺りに戻ってくると、折しも実母・岸代の葬式が行なわれているところだった。巻野は俊策がの参列を拒否しようとするが、そこに真砂子と滋がやってきて、さらには日下部が珠江からの手紙をもって駆けつける(手紙のインサートや転換表現も印象的であるが、手紙が裏表逆になっている)。珠江は改心し、再び満州に帰っていったという。そこに真砂子の妹が嫁いだ氏家子爵が事態をしって援助を申し出て、三人は幸せに暮らすことになる。最後に三人の家族写真のようなショットが入るのもおもしろい。
※上の粗筋は『活動之世界』(1917年1月号)に筋書にもとづいているけれども、実は真砂子の妹志津子が姉を助けるために、氏家子爵家の大事な指輪を貸すエピソードなどもあり、事態はずっと複雑だし、原作の小説は942頁ある。
※小松弘先生の「新派映画の形態学 : 震災前の日本映画が語るもの」(黒沢清他『映画史を読み直す』岩波書店)がこの作品を論じておられ、柴田も演博の新派展の図録で「新派映画の複層性」という記事を書いております。
1916 旧劇『雷門大火 血染の纏』(日活)(演博)[→動画リンク]
※右にある「補足資料」の「ファイル: 動画」をクリック
演劇博物館所蔵の九島勝太郎旧蔵フィルムの一本。尾上松之助の初期である程度の長尺で現存するのは国立映画アーカイブ等の所蔵『忠臣蔵』(1910年)、この『雷門大火』(1916)、そして後述の『豪傑児雷也』(1921)があるのみ(だと思う)。最初期のスタイルの変遷を捉えるうえでも非常に貴重。
拙著では第4章1節「舞台上演モデルの音響実践」で「旧劇映画と「様式的」な音響実践」という部分でふれた。
筋書が『活動写真雑誌』(1916年5月号)に掲載されているが、なにより板倉史明先生の「「旧劇」映画における物語叙述のスタイル 再考 ——『雷門大火血染の纏』(1916)を分析する」が公開されており、詳細な分析がある(コチラ)。
この映画については、2022年に中村京蔵丈にご協力いただいて、歌舞伎の語り、音楽とともに上映した(コチラ)。弁士の方々の上映もすばらしいが、歌舞伎の音にもとづく上映は強烈なインパクトがあった。表象文化論学会のRePreで研究ノートを書かせていただいた。
その他、1921年の旧劇『豪傑児雷也』[NFAJ・動画リンク]や新派『寒椿』[NFAJ・動画リンク]、さらに井上正夫の『噫無情』(現存12分)など、NFAJのウェブサイトには1920年代の作品も複数公開されているのだが、ここではさしあたり1910年代まで。
ところで、上の『五郎正宗』もふくめて、現代のどのような上映も、常に歴史と現代の混ざり合ったものなのだということは注意しておいていただきたい。過去にあったのは「これ」だと思ってはいけないということである。
これまで自分でも「再現」上映を企画してきたけれど、実際に映画館で行なわれた音に関する資料や記録をもとに、それを「再現」してはいるものの、それは決して過去にあったものそのものではない。
上では『五郎正宗』では台本をそのまま使えるわけではないと書いたが、ここで録音されれている弁士の声色掛合だって、形式は踏襲しているが、弁士の語り口調も現代の弁士と過去の弁士とでは違っている。また、音楽のスタイルも1910年代の日本映画は基本的に囃子鳴物を標準にして、1920年代的な和洋合奏は標準ではなかった、と僕は考えている(ただ、この台本が作られた1926年の上映時には和洋合奏が広がっていたから、こういった上映もありえたかもしれない)。
もちろん、歴史的に正しくないのでよくないなどといいたいのでもない。過去にあったのは「これ」だと思ってはいけないというのは、つまり、いま見たり聞いたりできるものによって歴史的な理解を塗りつぶしてはいけないということである。現代の上映はあくまで現代の演者によって、現代の感性で実現されたものなのだ。でも、だからこそ現代の観客に響くということでもある。
実際、そもそも歴史的な音をただ再現すればいいということではない。かつての映画館の音楽なんて、おそろしくヘタクソなひとたちもいたわけだから。それをいま再現しても幻滅するばかりにちがいない(ある意味ではおもしろいかもしれないけれども)。『雷門大火』の事も書いたけれど、過去の弁士はもっといい加減だったはずだ。だから僕は「上映」そのものの再現というよりは、その「スタイル」の再現と考えているのだけれど、それも常に、歴史と現代の複数のスタイルがまざりあったものとして実現される。そしてだからこそ、現代にあらためて楽しめるのだと思う。
ただし、現代のサイレント映画上映を楽しみながら、歴史の他者性への敬意はなくさないようにしたい。過去は現代の僕たちが想像していなかった顔をして平然としているが、その思いがけない姿を見ることで、現代の僕たちの考えている「映画」がもっと多様で豊かなものだったことに気づせてくれるように思うのだ。
参考 収録データベース
国立映画アーカイブのデータベース。数年前までなかなかアクセスできないと思っていた映画群がオンラインで観られる時代になっているのだからすごい。
映像でみる明治の日本
はじまりの日本劇映画 映画meets歌舞伎
はじまりの日本劇映画 映画 meets 新派・新劇・新国劇
参考:NFAJのデータベースでは関東大震災映像デジタルアーカイブもすごい。
関東大震災映像デジタルアーカイブ
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
早稲田大学演劇博物館にも貴重なサイレント映画が複数収蔵されている。早稲田大学文化資源データベースでは、このうち3本が公開されている(データベースリンクはコチラ)。16mmフィルムが元素材だが、公開データは解像度を落したものである点はご留意されたい。